服も車も、装飾なんてあるからゴミになるんだ。でもそうじゃなきゃ、時代は進まない。

私が公立中学校へ転校した中学二年生の時、私は確かにキモヲタだった。
どれくらいかというと、う⚫︎プリの筆箱を使い、アニメキャラのあしらわれたリュックで学校に通っていたぐらいだ。
そう、キモヲタ。そしてデブ。そしてキモい。醜悪という言葉が似合う人間だった。


初日からクラスメイトのキモヲタに対する対応は厳しかった。
先生に呼ばれ、教室のドアを開けると空気が固まった。



そりゃそうだ。
私の肩からは初⚫︎ミクがチラリしているのだから。


あたし「 …私立から来ました、たなかです。よろしくお願いします」



それだけ言うと、先生はさっさと自己紹介を終わらせて、一番後ろの席を指した。

そこを目指して巨体は健気にも動き始めた。

が、東京は土地が狭い。
ゆえに、教室が狭い。
つまり、席と席の間隔が狭い。

つまり、通れない。

規格外の大きさの私の体は席の間を席を傷つけずに通ることができなかった。

お腹で、あるいはお尻で、両隣の机を跳ね飛ばしながら、やっと自分の席にたどり着いた。



やっと休めると椅子に腰を下ろすと、みんながまるでUMAでも見つけたような目線をこちらに向けていた。

私はなにか面白いことでもしたほうが、これから先やりやすいかと思って、
机の上に突っ伏したかと思うと、急に頭を起こすという、奇怪すぎる行為を何回も高速に繰り返した。


頃合いを見て、その異常なヘドバンをやめて辺りを見渡すと、誰一人笑っていなかった。

ただ、UMAを見つけた時のような目線から、連続殺人犯に追い詰められた時のような目線に変わっていただけだった。死にたかった。



そのような私の必死な行動のおかげかどうかはわからないが、よくある休み時間に転校生の周りを質問攻めにしにくる生徒たちの行動というのは一切見られなかった。

ただ、私をチラチラ見ては訝しげに眉を潜めてみんなで話している姿だけ確認できた。


「おうち 帰りたい」


私の脳内はその言葉で埋め尽くされていた。
初日から失敗を感じた私は適当に腹痛とか理由をつけて早退してしまおうかと考えた。

でも保健室の場所がわからなかったので、5時間目まで授業を受けた。

ここで、無断でお家に帰らなかった辺りでわかるように私はチキンなのである。





でも、そんな私に一筋の光が差し込んだ。




学校も終盤に近づいた頃、一人の女学生が私に声をかけてきたのである。


女学生「ねぇ、う⚫︎プリ好きなの?」

あたし「え?ああ、はい、そうですね…」


長い引きこもり生活のせいで、同年代との話し方を忘れていた私は、敬語でしか話せなかった。


女学生「誰が好きなの?」

あたし「…(ここで、本命を言うべきか?
いや、本命は人気がない。
=つまり、会話が終わってしまう。
よし、それなら否が応でも王道で一番人気のある来⚫︎翔にかけるべきだな)
翔ちゃんですかね!」

女学生「やった!あたしもなの!!翔ちゃんかわいいよね!!よかったー、仲間がきて!」

あたし「ね!天使かと思いましたよ!
(当たったな…)」

女学生「他に好きなアニメってあったりする?」

あたし「…(こいつ、う⚫︎プリ好きってことは、乙ゲー厨か?
それとも腐女子か?
それともただのアニヲタ?
ここであからさまな腐女子アニメを出しては察さられる場合があるが…腐女子だったらあえて提示したほうが距離感はぐっと縮まることは確か…。
賭けてみるべきか…?
それとも安全牌をとって、3種類にアニメを並べてみるか…)
他には、ブラコンとかバカテスとか、黒バスとかですかね!」

女学生「本当!?バカテスは知らないけど、他の二つは好きだよ!グッズたくさん持ってるし!
うわー、嬉しい!あたしはね、他にはと⚫︎るとか、Fr⚫︎e!、⚫︎物語とか!」

あたし「…(むむ?
有名どころしか言わない…?
これはもしかして…)
ああ、ワタ⚫︎てとかは?」

女学生「なにそれ知らなーい」

あたし「…(わかったぞ、こいつはファッションヲタクだッッッッ!!!!!)」



・・・絶望っ!!
圧倒的絶望っ・・・・・!!
高度な心理戦を経て、得た結果はこれ・・・!!!


私は、やっと出会えた理解者の薄っぺらさに気づいて、なんだか一気に興ざめしてしまった。

それでも当時の私には、薄っぺらくともアニメの話をできる友人、というか学校での友達は一人でも欲しかった。

だから振り切ることなどせずに、私は頑張って今期アニメの見解について述べた。
それが、彼女にとって楽しかったかどうかは知らない。




次の日、学校に行くと、彼女は普通におはようと言ってくれたので、その日1日は彼女にべったりくっついて、色々な話をした。

彼女の名前はよさだという。
日本で5ぐらいしかないという珍しい苗字を持っていた。


私とよさだはすぐに仲良くなった。



そう、冬のコミケを三日間全て一緒に行くぐらいにね…。







結論から言うと、

よさだと行くコミケは地獄だった。







事の発端は些細なものだった。


よさだ「 コミケいかない?」

あたし「行く行く!なんか知らねーけど行く!」

よさだ「三日間フルで、ドタキャンしたら10万払うこと!」

あたし「任せろって!☆〜(ゝ。∂)」


私はコミケというものはどこか遠い国でやってるものだと思っていた。
その時まで、ビッグサイトでやっているなんてことすら知らなかった。
けど、その場でノリで生きている私は、適当に了承してしまった。
(コミケの初日のすぐに自分の生き方に死ぬほど後悔した)


深夜の2時にスタ爆された私は、若干キレながら用意を整えた。
マンションの下に迎えの車できていたので、私は早急に準備をしなければとほとんど軽装でコミケに向かった。

長袖一枚にコート一枚とかそんなレベルだった。


だけど、車の中はあったかくて、一切の寒さを感じなかった。
私は地獄へと進むこの車のシートにもたれかかって、深夜の高速道路を眺めていた。






東京ビッグサイトについて、よさだが意気揚々と降りたのに続いて私も外に出ると、瞬間凍てつくような寒さの風が私の身体を襲った。一瞬で今日死ぬとわかった。


あたし「寒さが異常」

よさだ「そりゃそうだよ。なんでそんな軽装できたのww」

あたし「完全寝ぼけてた…」


聞くと、よさだはダウンを二重に着て、全身にカイロを貼っているそうだった。

ふざけんな、あらかじめ言っとけよ。と、すこしだけ怒りそうになったが、寒さで怒るとかそれどころじゃなかった。




冷たいアスファルトの上に知らない人たちにぎゅうぎゅうに挟まれながら座り込んで、これから6時間待つという苦行に私は耐えなければならなかった。


あたし「なんでこんなんに並ばなあかんねん…あったかいポトフが食いてぇナァ…」

よさだ「え、並ぶの楽しいじゃん!みんな仲間って感じ! ほら、あの人毛布ゆ⚫︎ゆり!あたしもあれもってる!」

あたし「(だめだこいつ…)」


そうだった。

よさだはファッションヲタクだから、ヲタクっぽいことをすればするほど燃え上がるんだった。

だからわざわざ、こんな張り切って並ばなくても…なんて言葉はもうこいつの前では無駄だと思った。


ちなみに私はこのころ、アニメにほとんど興味がなくなっていた。
(よさだとの出会いからおよそ半年以上もの月日が流れた頃の話である。)

もっぱらアニメよりジ⚫︎ニーズで、増⚫︎くんにキャーキャー言っていた。

だからコミケになんの目的もなかった。
よさだのお守り以外コミケですることはなかった。


よさだ「スタッフの名言聞きたい!コミケスタッフまじ面白いんだって!」

あたし「はいはい…」


私はこれから6時間、耐えた。

寝たら死ぬ、寝たら死ぬと何度も自分に言い聞かせた。
これまでの人生を思い返して一人感傷に浸ったり、増⚫︎くんと結婚する妄想をしたりして時間をやり過ごしていた。

最終的に腕の感覚がなくなって、瞑想してる修行僧のように固くまぶたを閉じて終わりをまつようになっていた。



やがて、日は昇る。
その言葉の意味を体をもってして感じたのはその日が初めてだった。



私は、マイナスにも近いその気温の中、生命の危機を感じながらも、なんとか峠を乗り越えた。

朝日が昇る姿に、有難うとつぶやくことなんてこれまでもこれからもきっとないだろう。


太陽が出ると、指の感覚がなくなっていた右手も少しずつ解凍されたように自由に動くようになった。



震える手で、スマホを見ると、時刻は4時だった。



おいちょっと待て、嘘だろ。

まだ2時間しか経ってねぇじゃねぇかふざけんな。

これを、あと2回やるのか?
耐えられない、マジで耐えられない。
でも、10万払うのはもっと嫌だ。(素直な子なんです)




ずっとそんな自問自答をし続け、時刻が10時近くなった頃、列が微妙に動き始めた。

コミケがもうすぐ始まるのか。
終わりだ。
途方もない時間の中、やっと見えてきた終わり。
私は嬉しくて嬉しくて、今にも飛び跳ねそうだった。








やっとコミケ会場に入ると、人が我先にと進んでいった。

よさだ「はい、たなかは企業ブース行ってきて!私はサークルまわるから。はい、お金渡すからパンフの丸ついてるとこ回ってきて!」

あたし「ひぇ…」

よさだ「ほら、はやく!お釣りはあげるから!15時にコスプレ広場で待ち合わせね!じゃ!」

あたし「嘘だろ…」


15時ということは、最低あと5時間はここにいなきゃいけないってことか。地獄か。

だけど、私は握りしめされた5万をみて、お釣りの言葉を思い出しながらしぶしぶ企業ブースを回った。




まず最初に、超人気ブースでる京⚫︎ニに行った。まだ開いて間もなかったためか、100人ぐらいしか並んでおらず案外簡単にメガネ水泳野郎のクッションを買えた。

次はブ⚫︎ッコリーだった。さすがというべきか、う⚫︎プリを主軸としているブ⚫︎ッコリーは集客力が異常だった。

ブースから遥か先に掲げられた最後尾の看板にめまいすら覚えた。


あたし「嘘だろ…」


今日何回目になるかわからないため息をついて、ブ⚫︎ッコリーのブースに並んだ。

イヤホンを耳に詰めて、ミスチルを聞く。

こういうときはミスチルがいいんだ。


社会は理不尽で、そんな理不尽さを歌ってくれるのがMr.Childrenだと、お父さんが言っていたから。



そして、なんとか物を買えたのは、お昼時を過ぎた頃だった。

残金は2万ちょっとだった。

まだ全然余裕じゃんと思った私はウキウキステップで次のブースに向かった。


あたし「うそやん…」


次のブースについて、買うようメモられた商品の合計は1万9千円だった。

ここまで散々人ごみにもまれて使いをして千円だけが私の手持ちになるなんて割に合わない。ふざけんな。



キレた私は、もう誰にも止められなかった。
よさだから渡されたお金とは別に2万円を持っていた私は、そのお金で手当たり次第にアニメグッズを買って回った。

怒りは人を狂わせる。

気づけば、見たことも聞いたこともないようなゲームのグッズを買っていた。


家に帰って死ぬほど後悔したことは言うまでもない。





よさだのご所望したすべてのグッズを揃えて、コスプレ広場にてよさだを待ったが、10分経っても30分過ぎてもよさだは現れなかった。
大方、大行列に巻き込まれてるんだろう。
そう思った私は一人、ベンチの上に座り込んで世界平和について考えていた。

結局、よさだが現れたのはそれから2時間後のことだった。


あたし「遅かったね」

よさだ「ごめんごめん、本当は15:30に終わってたんだけどもう一個いけるかなって並んじゃってさ〜」






うん、殺意しかわかなかった。



そんな私の心を察してかよさだは無邪気な笑顔で、「じゃ、帰ろか」と言ってきた。
私はやっと帰れるということに、怒りより先に喜びが出てしまって、よさだに怒るタイミングを逃してしまった。


アニメの紙袋大量に肩に引っ掛けて、よさだの車に乗り込んだ時、シートのやわらかさに非常に安心した。
俗世に戻ってこれたような、そんな気がした。





それからよさだの車で家まで送ってもらって、お家に帰ると、私は死んだように眠った。

今までの疲れをすべて払い落とすかのように、幸せに眠り続けた。













まさか、また深夜2時にスタ爆によって起こされるなんてつゆ知らずに…。

あの頃の私にもっと学力があれば、あの頃の私にもっと財力があれば、叶った夢はいくつあったの?

今日は、私の不登校から脱した経緯を話そうと思います。






ある日の昼下がり。



長い間の引きこもり生活の中で、私は昼夜逆転という望まぬ生活様式を手に入れていた。

そのおかげで、朝の忌々しい学生たちの通学声などからは逃れることができたが、私が起きる3時頃は小学生の下校時刻だった。
ので、いつも小学生の楽しそうな笑い声に一人ノスタルジックな気分になっていたものである。


そんな私にその日転機が訪れた。
それは家のWiFiに繋がれて動画見放題になった私の携帯が流したとあるドラマである。

直訳すると、一組の人生という題名のそのドラマを見た瞬間、私はひどいフラッシュバックを覚えた。

これは、私がハワイに旅行しに行った度にみていた、ネズミーチャンネルのドラマではないか。

もちろん、あっちでは英語吹き替えだったのだが、私は主人公の一人である男の子に惚れていたのでそんなものはさして気にせず、毎日テレビにかぶりついていたものだった。




私がこのドラマの主人公の一人である俳優(もうこの際名前を言ってしまうが、Dylan sprouseである。以下: ディラン)
下の画像の人物がディランである。


ディランは、また私を夢中にさせるのに時間を用さなかった。
私は毎日、昼から朝までずっとスマホにかぶりついてディランの動向をyoutubeで見守ってた。

ディランは若かりし頃の私の青春だった。ディランを見るたびに私は若いときに戻れたような気分になって嬉しかったのだ。



それから私がディランに会いたいと思うのも時間の問題だった。


ある日、何気なくディランを検索ワードにかけていると、驚くべき記事が目に入った。

なんと、スプラウス兄弟(ディランは双子である)が来日するとのことである。
しかも東京に!
私は歓喜したね。ええ、凄まじく歓喜しましたよ。ディランが私に会いに来るんですもの。愛してたよディラン。





だけど、ディランは変わっていた。
そう、私が夢中になったドラマはとっくに終わっていた。そしてそれなりの月日も流れていた。
そもそも永遠なんてあるわけがない。
若さなんてものは、すぐに私の幻想を打ち砕く。






そう、つまり、




ディランは大人になっていた。







私は思った。



「こんなのディランじゃない!!!!!!
私のディランは金髪で碧眼で、ちょっといたずらっ子ぽい笑顔の、そんな小学生だったのに…」



と。



私の中のディランはいつまでも、あの頃の笑顔のままだったのに…。




それからディランの経歴を調べれば、なんとディランは既に成人を迎えている年齢になっていた。
信じられなかった。
いつまでも小学生だったあの子の姿はもう、youtubeでしか見られないんだ。
そう思うと、私はどうにもやるせなくなって、アメリカを呪った。







だが、落ち込む私の肩を優しく叩いた人がいた。




それは、ザックエフロンだった。




ザックエフロンはこんなんである。なんか見たことある人多いんではなかろうか。





ザックエフロンの一番の代表作であるハイスクールミュージカルは1ミリとも見たことなかったが、私はザックエフロンに夢中になった。(以下、ザック)

まだこの時は、ザックはヒゲも生やしていなかったから、私は舞い上がった。
そう、このまま成長なんかしなくていいんだよ、とそっと液晶のザックに語りかけた。


(まぁそんな想いも虚しくこいつはヒゲも生やすしセクシー路線に行ってしまうんですけどね)




そして、ディランがきっかけで海外作品をよく目にするようになった私は、いつしか心の底である想いが芽生えるようになったのだった。





「アメリカの高校に行って、ハイスクールミュージカルみたいな高校生活がしたい!」







先述した通り、私は1ミリもハイスクールミュージカルを見たことがない。
つまり全くの幻影を追いかけているのである。




私の思うハイスクールミュージカルとは、



・授業中に全員がいきなり歌い出す
・ザックエフロンがバスケ部




これだけである。

こんなことがしたいなら、私がミュージカル劇団などに入ればいいだけの話なのだが、当時の私はアメリカに行かなければならないという、ある種の強迫観念じみたものを感じていた。



ただ、行動力だけは異常な私である。


そうと決まれば、高校留学だぜ!
と、勝手に決め込んだ私は適当な留学斡旋会社からパンフレットを取り寄せ、説明会、相談会などへの参加を決めた。
そしてそれらすべてを予定に立てたのち、やっと母親にそのことを話した。



あたし「高校留学したい、絶対したい」

はは「学校も今まともに行けてない子が、海外でやっていけるかなぁ」

あたし「じゃあ学校行くよ!だから学校行ったら高校留学させてね!!!約束だよ!」

はは「いいわよ(ニッコリ)」





ということで、私の復学が決まったのであった。

早急に私立から公立へ転校手続きを済ませた後、学校に挨拶に伺うと、校長はなんの躊躇もなく「じゃあ、明日からよろしくね」と私に言い放った。


そりゃ、行くのは行くけども。
急に明日からなんて言われると、心の準備が…なんてはやる心を救ってくれたのは、またしてもザックとディランだった。



ディラン「Hey...Not be afraid...」

ザック「I stay with me...」



写真の中の2人は私にそう言ってくれたような気がしないような、するような。







そして、ある日のことである。



私が中学校に復学し、留学斡旋会社をいくつも母と回って、それなりに月日が経った頃である。



お母さんの知り合いで私と同じく不登校だったお嬢様がいた。

そのお嬢様の高校がスイスにある学校に決まったという知らせをお母さんから聞いた私は、自分の将来の話を始めていた。




あたし「私もね、いろいろ考えたんだけど、やっぱイギリスにしよーかなって。ほら、アメリカだと遊んじゃいそうじゃない?マリファナとかで」

はは「……」

あたし「そりゃ本当はその子みたいに、スイス行きたいよ。けど、毎日チーズはきつくない? ていうかなによりお金がないし。」

はは「……」




母は黙っていた。
私はなんだか不穏な空気を感じて、母のことを見守った。




あたし「お母さん…??」

はは「留学、もういいでしょ?」

あたし「!?!??!?」







はは「高校留学してどうするのよ、中学の勉強もまともにできてないのに」

あたし「!?!?!?!?」

はは「そもそもうちはまだ調停とかあって忙しいのよ、そんな時期に留学なんて大金必要なこと言われたってできるわけないでしょ」

あたし「!?!?!?!?!?!?!??!?!?!?!?!?!!?!?!?!」






じゃあなんで「いいわよ」なんて言ったの!!!!!!!

調停は私が留学したいって言う前から始まってたじゃない!!!!!!!

なんで希望だけ持たせるの!!!!!!!

ずるい!!!大人ってずるい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





これで完全に中学に行く理由がなくなったけど、私は偉かった。
中学校の勉強がわかってないなら、マジで勉強してやるよ、と意気込んで毎日元気に学校に通っていた。
(でもすぐに挫折して、惰性で学校に通っていた。)






そして、夢が断たれた傷が癒えた頃にはもう受験シーズンだった。


そんな中、仲の良い子が留学することがわかった途端、まだ病み上がりだったら私の心に亀裂が入った。

建前はそりゃ「おめでとう」といったさ。
声が震えてたかも知んないけど、言うことには言ったんだ。
でも、本当は胸が痛くて、痛くて、どうにかなっちまいそうだったんだよォ…。

私はお家に帰って、おいおい泣きました。

" 留学してぇよ、かあちゃん…。
したかったんだよォ…。 "

そんな思いは、結局どこにも届きませんでした。私は今、日本で暮らしています。




そんな私に追い打ちをかけるように、そいつはわざわざ留学後



「今日はmy friendsとWiiやったよ😊 lol
言葉なんか伝わらなくても、わかってもらえるもんだね💕:)
I' m happy*😍👍 in California 💫🇺🇸」



なんて、写真付きでSNSにあげるもんだから私の心は傷だらけになった。



本当は私がそれをやりたかったんだ!!!!!
私が、私が!!!!!
外国の友達と仲睦まじくしてる写真を顔本やツイッターにあげたかったんだ!!!!
私が!!!!!!私の夢!!!!!!!!!
私の夢を私じゃない人が叶えないでください!!!!!!!!!!!!




そいつをブロックした後も、私を傷つける火の粉はあいついだ。





またまた別のやつがツイッター



「高校二年生になったらオーストラリアに一年間留学します」


だの。


「親の転勤でイギリスに行くことになりました。みなさん、さよなら。。。。」



とかほざくから!!!!!!!!




別に羨ましくなんてねーよ!!!!!!!!!!!

うるせえこのやろーーー!!!!!!!
こっち見んじゃねぇーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!

私だってディランとザックと同じようにアメリカンハイスクールしたかったよ!!!!!!!!!!!!
私だって!!!!!!行きたい!!!!!!!!!!!!
アメリカでもイギリスでもニュージーランドでもパプアニューギニアでもいいから行きてぇよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!











そして、私はまた懲りもせずお母さんにいいました。









あたし「大学はボストンにするわ」

鼻血が今日のあたしの生きた証。それを否定されたら私はただの血みどろグロテスク厚化粧。そう、お前にとってはただの血でもあたしにとってはそういう血。そういう真理をわかってほしい、わかんないよね。

ともことの思い出では多いけれど、一番記憶に残っている某餃子タウンの話をしようと思う。



まず、その日の私たちはおかしかった。
自担のグッズを買うために人を殺す勢いでいた。


(ちなみにだが、私の当時の自担はバスケ部兼ウザモデルと、高スペック鬼畜眼鏡の彼氏であった。
ともこの自担は人事を尽くす系鬼畜眼鏡である。)


私たちの自担は餃子やデザートとなって、池袋に降臨していた。
私たちはそのコラボを知るや否や池袋に舞い降りた。
私にとってそれが初めての池袋であった。


初めてみた池袋は人間ラブ系アニメの舞台そのものであった。
乙女ロード、情報屋、カラーギャング
そのすべてに私はワクワクした。
新しい何かが始まるような…。
非日常がここにあるような…。
全くもって主人公である帝と同じ気持ちに浸っていた。


目的地のすぐそばであるサンシャインというビルがわからずに迷っていると、中1であった私達にとっては驚くべき光景が目に入ってきた。
普通の街で、乙女たちが歌の王子様のコスプレをしているのだ。
初めて生で見るコスプレに私は舞い上がった。
アキバに通いつめていたと言っても、アキバのオタクたちは慎まやかだった。
コスプレなどの己の身に似合わぬと謙遜して、全身真っ黒なジャージに身を潜めていた。



それがどうだろう、池袋は。



女の子がきゃっきゃうふふとコスプレをしている。
同じ女の子でも、同じきゃっきゃうふふでも渋谷とは全然違う。
そこには優しさがあった。
私の心は、確かに暖かくなった。
あの日、渋谷でできた傷が少しだけ癒えた気がしたのだった。


その女の子達に惹かれるようについて行くと、偶然にもサンシャインのすぐ近くまでたどり着いた。
彼女らは私たちを導く存在だったのだろう。



無事、ナ●コナンジャタウンに着くと、私たちは自担の姿を探した。
トルコアイス屋で私の自担は旦那とアイスになっていたので、早速私はそれを買った。
そして、自担の顔をもいで、自担の旦那の体に密着とかさせて遊んでいた。
そしたら、アイスはドロドロに溶けて最終的にはなんだったかよくわからないものになっていた。
時の流れとは残酷なものである。


ともこの方はというと、なぜか自担のアイスを買わずに私の自担のパフェを食していた。




たなか「お前、緑間どしたよwwwww」



ともこ「こっちのがうめぇから」



たなか「そっか」




ともこは欲求に実直な人間である。


それらの写真を誰も待ち望んでいないSNSにあげるために散々撮りまくったのち、私たちは速やかにデザート広場から餃子タウンへ移動した。

今度こそともこは自担の食品を買った。
ともこが買ったのはサラダピザとおしるこがセットになってるという、なんだか腑に落ちないものだった。




たなか「今度は自担買ったんだな」




ともこ「ヘルシーだから」




こいつに自担への愛なんてない。
ともこの薄愛さをしみじみ感じながら、私は2人の担当のためにお金を使いまくった。
どこで使うのかわからない缶バッジのために、両替機に6回ぐらい向かった。
私はぐちぐち言いながらガシャポンを回していたが、ともこはただ淡々とガシャポンを回していた。恐怖を感じた。



ただ、そんなともこにも感情はあった。
自担の缶バッジが出た時、口角を地味にあげて笑ったのだった。恐怖だった。







餃子もスイーツも満喫した私たちはスピーディにナム●ナンジャタウンを出ると、辺りはもう夕暮れ時だった。
デュラ●ラ!!!を見ていた私としては、首なしライダーを見れるんじゃないかと期待したが、ともこが結構ガチめに帰りたがっていたので私は帰路を急いだ。


そう、私はまだ知らなかったのだ。

乙女ロードの可能性に、まあ触れてすらいなかったのだった。



家に帰ってから、乙女ロードの存在を知った私はすぐにともこに連絡を入れた。
ともこは電話越しで微笑したのち、了承した。怖かった。

えらい人「媚びて媚びて媚びて靴をも舐めて、やっと得られるのが富と権力だよ。」 あたし「お前の靴を舐めるくらいならごみ捨て場でカラスに啄ばまれて死ぬわ」 (あ、こんなこと言ってますけど実際は私弱いんで舐めますよ!へへっ!)


ある日、小学校の頃の級友から連絡が来た。


しかも、深夜の4時である。

普通の中学生はこんな時間はばかみたいによだれ垂らして寝ているはずである。

引きこもりで昼夜逆転していた私は、少し勘づきながらすぐさま返事を返した。



『あのさ、たなかにあいたいんだけど』



そんな書き始めだった。

ここでドキッとした方も多いと思うが、残念ながらこのメールの送信者は女の子である。
75kgに春は来ない。


これはどうしたものかと思いながら、友達と明日会う約束を取り付けた。



夕方の16時に、オシャレファッショナブル最先端であるスターバックスコーフィーでその友達を待っていると、その友達はどこからともなくやってきた。



たなか「…お、おふぃ、おふぃさ、おひさ…」



驚いた。人は長いこと人と接していないと口が回らないのである。


友達はそんな私になぜかドン引きせずに、注文していたのであろうバァァァニィラフッラッペテッィィノォォを口に含んだ。



「話したいこと、あるんだ」



小学6年生の頃の友人といえど、もう違う場所で生きてる我々である。
そんな中で私に話すことなどあるのだろうか。
私はなかなか話を察せずに、友人(ともこ)の言葉を待った。



ともこ「がっこう、行ってないんでしょ?」



もしや、不登校の私をからかってみんなで嘲笑うのだろうか。
一瞬で冷や汗を垂らした私に気づいたともこは慌てて私をなだめた。




ともこ「いや、誰かに話すとかじゃなくて、あたしも行ってないから」




たなか「え?」




驚いたことに、ともこも不登校だったのだ。一人だけ家の事情で学区外の中学校に進学したともこは、うまく友人を作れず孤立し、今に至るとのことであった。
でもここで、私は少し引っかかった。
なぜなら、ともこのお母さんは厳しいことで有名で、ともこが不登校になろうでもならともこの皮膚をすべて引っ張ってでも学校に連れて行くと思ったからだ。





ともこ「お母さんね、病気になって家にいないんだ、今」





私の疑問をすべて察してるかのようにともこは答えた。
私は突然のことに頭が追いつかなかった。
活発ですぐ怒るともこのお母さんが病気にかかっているなんて、想像もできなかった。




そして突然話された朝青龍並みにヘビーな話に私は黙って、抹茶フッラッペテッィィノォォを飲むしかなかった。


なぜともこが私にそんな話をするのかはわかった。
同じ不登校同士、暇を潰そうということであろう。
それなら私は大歓迎である。


その日のうちにともこと遊ぶ次の約束を取り付けた。


もちろん、遊ぶのはアキバである。
ぶっちゃけた話、あの時の私にとってまともに歩ける場所はアキバしかなかったのである。


これをきっかけに、毎週3回の頻度で私はともこと会うようになっていった。

似合わない街で一人睨まれたって、そこにいさせて欲しいから一生懸命着飾って、後ろ指さされても気にしないふりをする。本当はぜんぶやり直したいのに、憧れが捨てきれなくてまだあたしはここにいます。

東京都の23区のうちの一区の某所。

そこに、75kgほどに肥えた引きこもりクソニートがいた。


そのクソニートがやっていたことは、もっぱらホモか秋葉原散策だった。

クソニートに渋谷に行く勇気はなかった。
けれど、秋葉原に行くには渋谷を通らなければならなかったから、あえてぐるぐる回る山の手線を避けて、もうひとつの地味な鉄道を理由していた。
それぐらい人の目を気にしていたのに、なぜか私は75kgの巨体を揺らしながら、お目当てのフィギュアに貪り付いていたのであった。そして、自分ではその姿を「アニメにも関心があるおにゃの子は希少だにゃん」とか思っていたのである。
今想像するだけでも鳥肌ものである。あの時の私は、酸欠にでもなって死ねばいいと思う。

私はアキバを訪れる時は、ヲタクに鉄板の黒ニーソを履いて、メルヘンピンクな服装で身を包んでいた。(※75kgです)
以前は、道行く人の視線を好意として受け取っていたが、今ならわかる。
あれは決して好意の視線ではなく、奇異の視線だ。本当に死にたい。




ここまで書いて、私を相当なポジティブ野郎と受け取られたと思うが、言い訳をさせて欲しい。
私はあの頃、中1だ。
中1なんて世の中の酸いも甘いもまだまだなにも知らない段階。言うなればまだ発展途上。第二次成長期を迎えてるかも怪しいのだ。
そんな幼い私に、日本人らしい奥ゆかしい嫌味や嘲笑を察することなんて無理な話だ。


私はそんな服装で過ごすこと、3ヶ月。


ある日のことである。
私は最初の2ヶ月ほどはアキバにしかそんな服装をしていかなかった。
本能的に渋谷でピンクなフリフリなんて着たら自殺もんだということを察知していたのだろう。
でも、三ヶ月も経てば人は変わる。
なんだか急に私に元気玉が注入されたのである。
そう、渋谷に着て行ったのだ。


ティーンな若者の集いである渋谷。
すべてのオシャレ通ぶりがいると言ってもいい。
ドン●西でもないくせに人のファッションに集団でケチをつけて、自らの自尊心を満たすようなキナ臭い連中のたまり場である。
私はそういう●治とか青●とかにいるイケイケな大学生が大嫌いだ。黙って単位とってろks。なにが新歓コンパじゃ留年しろ。


非常に話が逸れた気がするが、頑張って戻そうと思う。
つまり私はそういうお姫様系ファッションで、渋谷の1⚪︎9の前を自信満々に通ったのだった。

反応は分かり切ってると思いますがね、ええ、はい。
笑われましたよ。大学生の集団に。
ええ、はい。
だから私は大学生が嫌いです。


聞こえたんですよ、甲高い声で私を指差して




「なにあの怪物」




茶髪クソビッチがそう言ったの、ちゃんと耳の奥底の深くまで聞こえてしまったんです。










私はお家に帰って、75kgの巨体を揺らしながら涙を流しました。


悔しい、悔しい。

私のことなんてなんもわからない頭空っぽのがらんどう女に私の全てを否定されたような気がして、どうしようもなく悔しかった。

悔しいって泣きながら私はその夜ポテチを5袋食べきりました。




美味しかったです。













そうだよ、だからデブなんだよ!!!わかってるよ!!!うるせえんだどいつもこいつも!!!ポテチうめぇのが悪いんだよ!!!こんな美味いポテチ販売しやがるカ●ビー訴えるぞいつもありがとう!!!だいすきだよ!!!!

「カレーうどん食べようって約束したじゃん!なのに白いシャツ着てくるなんて私のこと考えてないのと一緒じゃん!大っ嫌い!」とかそんなこと言える女はすげぇムカつくけどすげぇうらやましい。


今更ながら白状するが、私は中学校を二つ経験している。
私立の女子校と、公立の共学である。

ざっくり私の中学生時代を紹介すると、
秘密の花園と呼ばれる女子校に入学するが、最初の3ヶ月だけ通った後に一年引きこもり、あるきっかけで共学への転校。である。

まず、その女子校に入るまでの私の人生を記していこうと思ふ。



  1. 某有名進学塾で落ちこぼれたたなか


私は小学三年生の頃に、近所の米屋の紹介でその娘さんが通っていた塾に見学に行った。

私は非常に乗り気ではなかったが、親はノリに乗っていて、まだ通ってもいないのに早◯田や、某有名国立お茶系女子などを挙げるなど、相当浮き足立っていた。

そしてその時に、入学テストなるものを受けさせられた。私は並べられた難問を前にただ鉛筆を握りしめることしかできなかった。


なのに、後日届いた合否結果は、意味不明にも合格と書かれていた。


なぜかわからないが、チンパンジーと学習能力が一緒だったはずの私は難問と呼ばれる有名塾の入塾テストをパスしてしまい、小学三年生の夏から私は進学塾通いの日々が始まった。


だけどここでクズのたなかである。
週一であった授業を行かないなんてザラであった。
むしろ、欠席するという連絡すら入れることはなかった。

まぁでも、さすが進学塾。
休むたびに電話をかけてくるのである。
そのしつこさといったら、憎悪を催すレベルである。
だからまず私は、家の電話のコンセントをかたっぱしから抜いた。

すると、どうだろう。
親の携帯に直接的に連絡が入るようになった。
親は私の悪行に気づき、ただいつも以上に叱られただけだった。



でもやはり、私はクズなので塾にはいかなかった。
とはいうけれど、二週間に一度は行っていた。
ずっと行かないとさすがに怒られるので、譲歩した後に出された答えがそれであった。
でも、行かなかったからといって、勉強を怠っていたわけじゃなかった。家で時間を見つけては参考書を開いて熟読していた。
それが、家にある本をすべて読んでしまった私の苦肉の策で生まれた暇つぶしだった。


そんな不埒な状態で成績はどうだったかというと、なんともハッピーなことだが成績優良だったのだ。日頃の参考書読みがよかったのだろう。
全国ロリショタ統一テストでもなかなかに悪くない成績を残し、「たなかは毎回塾に来ればもっと成績が上がるよ、チョコレートやヨーグルトを作ることで有名な会社と同じ名前のあの中学とかどうだ?」と塾長に言われたレベルである。


そう、私はこの言葉を過信した。


二週間に一回行っていた授業を、「二週に一回でこれだけの成績なら行かなくてもいけるっしょ」という謎の自信のために、三週に一回行くか行かないかまでの不登校ぶりをみせた。


夏休みも、肌の色が焦がし醤油になるまで遊び呆けた。
夏期講習はもちろんあった。7月いっぱい夏期講習だった。だけれど行くはずがなかった。そして旅行が詰まっていた私は一切参考書を開かなかった。
やっぱり夏は遊ばないと、夏に置いていかれちゃうからね!(謎理論)


そして、9月になってやっと塾を訪れた私はみんなの肌の白さに愕然とした。
その腕は、夏の間長袖でも着ていたのかと問いたくなるほどであった。
まじめなみんなは、夏期講習をフルで出席し、よくわからないバリアフリーだのつるかめ算だのを延々とやってのけたのだ。
夏休み二ヶ月まるまる遊び呆けた私と真面目にコツコツと夏を無駄にしたみんなとは、明らかな差がついていた。
私は、食塩水も植木算もしらない。みんなは楽しそうにそれを解いていく。
私は一人、配られたプリントの前で呆然とした。
そしてあまりにも解けないので、プリントにかわいいかわいいうさぎちゃんを描いていた。
それが、小3の私の夏の終わりであった。



それからの私は荒れに荒れた。
まぁ荒れたと言っても、元から塾サボりがベターなクソ野郎だから、荒れた故にすることとは、参考書を一切開かなくなったことぐらいだ。
あまりの私の行かなさに、塾から毎週その回の宿題、その範囲が郵送されてきたが、私はそれさえ無視した。

宿題をせずになにをしていたかというと、私は友達と遊び呆けていた。
小2までベビーシッターがいたため、放課後友達と遊ぶという習慣を知らなかった私は、持ち前ののめり込む性質を生かして、手当たり次第友達に声をかけ、放課後を共にしていた。
初めて感じられた、友達との遊びというものを謳歌していたのだった。

でもある日、そんな私に転機が訪れる。



2. 中学校見学に行くたなか


小学3年という期間はあっという間に過ぎ、季節は私を小学5年生まで成長させていた。
私は二年という間塾に行ったり行かなかったりしていた。



そんな中、いつものように塾をサボり歓楽街をぶらぶらしていたときのことである。
行き交う人々はみんな若作りに必死で、どいつもこいつも醜悪さを秘めていた。



だけれどその中で唯一、純粋な皮を被った乙女たちがいた。



キャラメル色の制服。
赤色のかわいいリボンに、赤色のチェックのプリーツスカート。



一瞬で目を奪われた。



私が女子高生という存在を認知したのはこの時だっただろう。



それぐらいに彼女らは輝いてた。



そして私がその学校に入学したいと思うのに時間なんてかからなかった。
帰って、制服を検索すると一発で名前が出てきた。
それは中高一貫の女子校だった。
偏差値は上の中。
あの時の私からいえば、あまりにも高すぎる学校だった。


でもどうしても、あの制服が着たかった。


あんなキラキラした女の子になりたかった。





だから、私はとりあえず未来のリーダーを育てることをモットーにしている会社の参考書を開いた。





冒頭からさっぱり意味がわからなかった。






ので、私は静かにその参考書を封印した。






うん、諦めた。






諦めましたよ、すぐに。










無事にその学校に落ちた私は、第三希望であった適当な私立女子校に進学しました。


でもあまりにもその学校の制服が着たかったので、お年玉をすべて費やしてその学校の制服をオークションで購入しました。
多分、あのオークションの中で私ほどこの制服を健全に使った奴はいないと思う。


私は引きこもっている間、その制服で街を練り歩き、ひたすらその学校の品位を傷つけるようなことをしまくった。
今思えば、クズも逆恨みもいい加減にしてほしいところだ。



ただ、今でも思うのは、小3のあの夏期講習をきちんとでていたら、今の無念を小3の私に伝えられたら、そしたらきっと。



まぁ、もう今更遅いことぐらい分かってるので、今年も私はクズ街道まっしぐらしようと思います。

私の99%は私のこと。残りの1%は仕方ないから世界平和でも祈っといてやる。それでいいんだろ。

クソババアは私が期末テストを蹴ったことを知った次の週も来た。

だけれど、毎週チクチクと私の胸を刺してくるクソババアの小言にはもううんざりだった。
もう声を聞くのも嫌で、消しカスを耳に詰めたこともあったぐらいだ。(通気性が良かったので、普通に聞こえました。)
クソババアに色々してきた身として、今更被害者ぶるつもりはないが、あの時の私にとってクソババアはそれ程までに私の生活を脅かしていた。

受験まであと4ヶ月という中で、ついに耐えられなくなった私は授業が終盤へと差し掛かったのを見計らって、おもむろに口を開いた。


あたし「もう、来週からいいです」
クソババア「?どういうこと?」
あたし「もう、授業はいいってことです」
クソババア「なんで?」


クソババアは思いの外、冷静だった。
私の言葉に声を荒げることもなく、ただ淡々と疑問の声を上げた。


あたし「もう、高校決めたんで。それにその高校ならノー勉でも行けるんで」
クソババア「…入学してからはどうするの?それなら高校の範囲を…」
あたし「寮なんで!!!!!自習時間とか夜補習とかあるんで!!!!!」
クソババア「寮!?」
あたし「寮デス!!!!」
クソババア「寮!?!?」
あたし「寮デーーースッッッッ!!!」


クソババアは私の突拍子も無い選択に唖然としていた。
そして私がここまで激しくクソババアへの嫌悪をあらわにしたのは初めてだったため、それも信じられないようだった。
わなわなと少し震えている手を見れば、クソババアの今の心境など容易に想像できた。


クソババア「……私が来なくなったら、どうするの?」
あたし「残り少ない東京生活をエンジョイします」
クソババア「そんなんでいいの?」
あたし「それがずっとしたかったんです。もう受験なんてどうでもいいんです。しにたい」
クソババア「私が追い詰めてたの?」
あたし「そうです。あなたのせいで自殺未遂したぐらいですもん。」(※嘘ではないはず)
クソババア「そう…」


クソババアは萎れた。
クソババアが凹むことってあるんだ。これが鬼の目にも涙って言うんだなぁと一つ諺の意味を感慨深く理解していると、クソババアはおもむろに席を立った。


お、よっしゃ。帰るやんけ!
よっしゃよっしゃ勝利やで!

と、心の中でガッツポーズをしていると、クソババアはおもむろに私の携帯を奪った。
私は突然のことに体が反応せずに、クソババアの手中に堕ちた携帯を見つめることしかできなかった。
これから何が起きるというのか。
なんとなく察したけれど、やはりそれは大人としてすることではないなと安堵してクソババアに携帯を預けたままにした。
それが間違いだった。


クソババア「どうせ、私が来なくなったらこの携帯で遊びまくるんでしょ?」
あたし「…え?」
クソババア「それはこの携帯の本来の使い方ではないわ」バキッ
あたし「ファッッ?!?!?!?」



ここで、問題です。

あなたはシャレオツな大学で20代の前半を過ごしたクソババア独身クソ野郎は何をしたと思いますか。
ささやかながら、ヒントを提示します。
私は、人の携帯を触る人が嫌いです。
それは私のネットページの大半が、趣味全開のサイトで埋め尽くされているからです。
そんな私の本性を知らない人に、私の性癖がバレては一巻の終わりです。
だから断固として、携帯をいじられるのは嫌いです。

でもそれ以上に、私は人の携帯を壊す人が嫌いです。
嫌いっていうか、怖いです。
私の家庭教師はゴリラです。

それだけは言えます。
私の家庭教師(クソババア)はたった二つの手でスマホをかち割りました。
すさまじい腕力でした。
マッハ5ぐらいでしょうか。光よりもずっと早いスピードでスマホを握った拳を机に振り下ろしました。
そして私の愛してやまないスマホはよく見なくてもわかるぐらいに亀裂が入っておりました。


クソババア「これで、少しは勉強するかしら」
あたし「……?」
クソババア「これで私も安心だわ。」
あたし「??????????」
クソババア「ふんっ」(ドヤ顔)


クソババアはしてやったりという顔をしました。
私はにも言えませんでした。そんなことよりも喪失感の方がずっと大きかったからです。

私の携帯。
私がブックマークしたサイトのデータは飛んでしまったんだろうか。
私が保存したあの画像は消えてしまったんだろうか。

私が今まで大切にしてきたデータが失われたのだと思うと涙が出てきて、それと相まって目の前にいるクソババアへの溢れ出る怨みも止まらなくなりました。

なんだこの婚期乗り遅れが…恨めしい…このやろう…何が為に息をしてるんだ…。

そして、気づけば私はリビングに置いてあったテレビのリモコンでクソババアの鞄を一心不乱に叩いていました。


あたし「この怨み晴らさでおくべきか!!この怨み晴らさでおくべきか!!!」
クソババア「な、なにしてるの」
あたし「この怨み晴らさでおくべきか!!!この怨み晴らさでおくべきか!!!」
クソババア「ちょっと…」
あたし「この怨み晴らさでおくべきか!!!!」
クソババア「うるさい!!!!!!!!!!」
あたし「あ、あ…す、すいましぇん…」


クソババアの鞄は革製だったのだが、私が叩いていくにつれてどんどん硬かったはずの生地は柔らかさを持ち始めた。
そしてそんな頃合いを見計らってか、無双状態の私にクソババアが声を荒げた。
クソババアが声を荒げるのは今までになかった事だった。いつも怒ってはいたけれど、ただ淡々と私の拙いところを執拗に責めるだけだったから、私はクソババアの怒声に完全に怯んでしまった。

クソババアは自分の鞄を私から遠ざけた後、私からリモコンを奪った。
武器を奪われたら、なんだか急に自信がなくなって、生きてることでさえ申し訳なくなった。


クソババア「そんな逆上するぐらいなら、今まで勉強すればよかったでしょ」
あたし「…」
クソババア「あなたのそういう甘い蜜だけ吸う態度がダメなのよ。わかる?」
あたし「……ごめんなさい」
クソババア「謝るぐらいならしないでよ、ていうか言わせないでよ、こんなこと。」
あたし「……すいません」
クソババア「高校生になって、こんなことで説教されるなんて恥ずかしくないの?」
あたし「……本当、なんか…」
クソババア「アニメに夢中になって、ゲームに夢中になって、結局何を学んだの?そんなに時間を無駄にしてどうするの?」
あたし「……そうですね。本当に私はクズです…」
クソババア「そんなこと言ってないでしょ。急にどうしたの、そうやって言ったってね…」
あたし「お金は貸さないし、宿題は写すし、怠かったら学校サボるし、募金には疑いをかけてしまうし、クズなんです…すいません…本当、クズです…」
クソババア「どうしたの…そこまで責めてないじゃない」


クソババアは散々私を否定しときながら、いざ私が自分自身を否定し始めたら異常なほど焦り始めた。クソババアに合わせただけなのに、全く更年期の考えることはわからん。


あたし「でも闇金とギャンブルには手を出さないって決めてるんです…。それやったら本当にクズだと思うんで…」
クソババア「そ、そうね、それはいい心がけよ。」
あたし「でも、正直私思うんです。
ギャンブルしてる人ってただ刺激が欲しいだけで、満たされない心をギャンブルによって潤したいだけなんだって。でもその唯一の娯楽であるギャンブルにはお金がかかるから、闇金へと流れてしまうんだと思うんです。」
クソババア「そ、そうね。確かに、暇な人が多いわね」
あたし「でも、これだけギャンブラーの気持ちがわかるってことは、私はギャンブラーと同じ感情を持しているということであって、つまり私はギャンブラーと同じようにクズなんです…」
クソババア「!?!?」
あたし「しにたい…クズすぎてしにたい…」


私はクソババアが困ってるのに味をしめて、これ見よがしに弱っているアピールを始めた。
もしかしたら、これで私への風当たりは和らぐかもしれない。いや、和らいだところでもう関わることはないのだけれど。


結局、クソババアは私の鬱ポエムを散々聞いたのち、帰宅した。
私は内心ほくそ笑みながら、クソババアに「しにたい」だの「きえたい」だの「ていうかお前がきえろ」などとほざきまくった。

クソババアは帰り際に何も言わなかった。そんなことは初めてだった。
だから、私はクソババアへの勝利を確信した。

でも後日、そんなクソババアからメールが来た。
以下は、私が覚えている限りの引用である。





『先日はすみませんでした。
私の何が至らなかったのか、わからなかったのでまた土曜日行きます。ちゃんと話してください』


















とりあえず私は次の土曜日、友達と原宿に行きました。
やっぱ、残りの東京ライフエンジョイしないとねっ!