あの頃の私にもっと学力があれば、あの頃の私にもっと財力があれば、叶った夢はいくつあったの?

今日は、私の不登校から脱した経緯を話そうと思います。






ある日の昼下がり。



長い間の引きこもり生活の中で、私は昼夜逆転という望まぬ生活様式を手に入れていた。

そのおかげで、朝の忌々しい学生たちの通学声などからは逃れることができたが、私が起きる3時頃は小学生の下校時刻だった。
ので、いつも小学生の楽しそうな笑い声に一人ノスタルジックな気分になっていたものである。


そんな私にその日転機が訪れた。
それは家のWiFiに繋がれて動画見放題になった私の携帯が流したとあるドラマである。

直訳すると、一組の人生という題名のそのドラマを見た瞬間、私はひどいフラッシュバックを覚えた。

これは、私がハワイに旅行しに行った度にみていた、ネズミーチャンネルのドラマではないか。

もちろん、あっちでは英語吹き替えだったのだが、私は主人公の一人である男の子に惚れていたのでそんなものはさして気にせず、毎日テレビにかぶりついていたものだった。




私がこのドラマの主人公の一人である俳優(もうこの際名前を言ってしまうが、Dylan sprouseである。以下: ディラン)
下の画像の人物がディランである。


ディランは、また私を夢中にさせるのに時間を用さなかった。
私は毎日、昼から朝までずっとスマホにかぶりついてディランの動向をyoutubeで見守ってた。

ディランは若かりし頃の私の青春だった。ディランを見るたびに私は若いときに戻れたような気分になって嬉しかったのだ。



それから私がディランに会いたいと思うのも時間の問題だった。


ある日、何気なくディランを検索ワードにかけていると、驚くべき記事が目に入った。

なんと、スプラウス兄弟(ディランは双子である)が来日するとのことである。
しかも東京に!
私は歓喜したね。ええ、凄まじく歓喜しましたよ。ディランが私に会いに来るんですもの。愛してたよディラン。





だけど、ディランは変わっていた。
そう、私が夢中になったドラマはとっくに終わっていた。そしてそれなりの月日も流れていた。
そもそも永遠なんてあるわけがない。
若さなんてものは、すぐに私の幻想を打ち砕く。






そう、つまり、




ディランは大人になっていた。







私は思った。



「こんなのディランじゃない!!!!!!
私のディランは金髪で碧眼で、ちょっといたずらっ子ぽい笑顔の、そんな小学生だったのに…」



と。



私の中のディランはいつまでも、あの頃の笑顔のままだったのに…。




それからディランの経歴を調べれば、なんとディランは既に成人を迎えている年齢になっていた。
信じられなかった。
いつまでも小学生だったあの子の姿はもう、youtubeでしか見られないんだ。
そう思うと、私はどうにもやるせなくなって、アメリカを呪った。







だが、落ち込む私の肩を優しく叩いた人がいた。




それは、ザックエフロンだった。




ザックエフロンはこんなんである。なんか見たことある人多いんではなかろうか。





ザックエフロンの一番の代表作であるハイスクールミュージカルは1ミリとも見たことなかったが、私はザックエフロンに夢中になった。(以下、ザック)

まだこの時は、ザックはヒゲも生やしていなかったから、私は舞い上がった。
そう、このまま成長なんかしなくていいんだよ、とそっと液晶のザックに語りかけた。


(まぁそんな想いも虚しくこいつはヒゲも生やすしセクシー路線に行ってしまうんですけどね)




そして、ディランがきっかけで海外作品をよく目にするようになった私は、いつしか心の底である想いが芽生えるようになったのだった。





「アメリカの高校に行って、ハイスクールミュージカルみたいな高校生活がしたい!」







先述した通り、私は1ミリもハイスクールミュージカルを見たことがない。
つまり全くの幻影を追いかけているのである。




私の思うハイスクールミュージカルとは、



・授業中に全員がいきなり歌い出す
・ザックエフロンがバスケ部




これだけである。

こんなことがしたいなら、私がミュージカル劇団などに入ればいいだけの話なのだが、当時の私はアメリカに行かなければならないという、ある種の強迫観念じみたものを感じていた。



ただ、行動力だけは異常な私である。


そうと決まれば、高校留学だぜ!
と、勝手に決め込んだ私は適当な留学斡旋会社からパンフレットを取り寄せ、説明会、相談会などへの参加を決めた。
そしてそれらすべてを予定に立てたのち、やっと母親にそのことを話した。



あたし「高校留学したい、絶対したい」

はは「学校も今まともに行けてない子が、海外でやっていけるかなぁ」

あたし「じゃあ学校行くよ!だから学校行ったら高校留学させてね!!!約束だよ!」

はは「いいわよ(ニッコリ)」





ということで、私の復学が決まったのであった。

早急に私立から公立へ転校手続きを済ませた後、学校に挨拶に伺うと、校長はなんの躊躇もなく「じゃあ、明日からよろしくね」と私に言い放った。


そりゃ、行くのは行くけども。
急に明日からなんて言われると、心の準備が…なんてはやる心を救ってくれたのは、またしてもザックとディランだった。



ディラン「Hey...Not be afraid...」

ザック「I stay with me...」



写真の中の2人は私にそう言ってくれたような気がしないような、するような。







そして、ある日のことである。



私が中学校に復学し、留学斡旋会社をいくつも母と回って、それなりに月日が経った頃である。



お母さんの知り合いで私と同じく不登校だったお嬢様がいた。

そのお嬢様の高校がスイスにある学校に決まったという知らせをお母さんから聞いた私は、自分の将来の話を始めていた。




あたし「私もね、いろいろ考えたんだけど、やっぱイギリスにしよーかなって。ほら、アメリカだと遊んじゃいそうじゃない?マリファナとかで」

はは「……」

あたし「そりゃ本当はその子みたいに、スイス行きたいよ。けど、毎日チーズはきつくない? ていうかなによりお金がないし。」

はは「……」




母は黙っていた。
私はなんだか不穏な空気を感じて、母のことを見守った。




あたし「お母さん…??」

はは「留学、もういいでしょ?」

あたし「!?!??!?」







はは「高校留学してどうするのよ、中学の勉強もまともにできてないのに」

あたし「!?!?!?!?」

はは「そもそもうちはまだ調停とかあって忙しいのよ、そんな時期に留学なんて大金必要なこと言われたってできるわけないでしょ」

あたし「!?!?!?!?!?!?!??!?!?!?!?!?!!?!?!?!」






じゃあなんで「いいわよ」なんて言ったの!!!!!!!

調停は私が留学したいって言う前から始まってたじゃない!!!!!!!

なんで希望だけ持たせるの!!!!!!!

ずるい!!!大人ってずるい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!





これで完全に中学に行く理由がなくなったけど、私は偉かった。
中学校の勉強がわかってないなら、マジで勉強してやるよ、と意気込んで毎日元気に学校に通っていた。
(でもすぐに挫折して、惰性で学校に通っていた。)






そして、夢が断たれた傷が癒えた頃にはもう受験シーズンだった。


そんな中、仲の良い子が留学することがわかった途端、まだ病み上がりだったら私の心に亀裂が入った。

建前はそりゃ「おめでとう」といったさ。
声が震えてたかも知んないけど、言うことには言ったんだ。
でも、本当は胸が痛くて、痛くて、どうにかなっちまいそうだったんだよォ…。

私はお家に帰って、おいおい泣きました。

" 留学してぇよ、かあちゃん…。
したかったんだよォ…。 "

そんな思いは、結局どこにも届きませんでした。私は今、日本で暮らしています。




そんな私に追い打ちをかけるように、そいつはわざわざ留学後



「今日はmy friendsとWiiやったよ😊 lol
言葉なんか伝わらなくても、わかってもらえるもんだね💕:)
I' m happy*😍👍 in California 💫🇺🇸」



なんて、写真付きでSNSにあげるもんだから私の心は傷だらけになった。



本当は私がそれをやりたかったんだ!!!!!
私が、私が!!!!!
外国の友達と仲睦まじくしてる写真を顔本やツイッターにあげたかったんだ!!!!
私が!!!!!!私の夢!!!!!!!!!
私の夢を私じゃない人が叶えないでください!!!!!!!!!!!!




そいつをブロックした後も、私を傷つける火の粉はあいついだ。





またまた別のやつがツイッター



「高校二年生になったらオーストラリアに一年間留学します」


だの。


「親の転勤でイギリスに行くことになりました。みなさん、さよなら。。。。」



とかほざくから!!!!!!!!




別に羨ましくなんてねーよ!!!!!!!!!!!

うるせえこのやろーーー!!!!!!!
こっち見んじゃねぇーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!

私だってディランとザックと同じようにアメリカンハイスクールしたかったよ!!!!!!!!!!!!
私だって!!!!!!行きたい!!!!!!!!!!!!
アメリカでもイギリスでもニュージーランドでもパプアニューギニアでもいいから行きてぇよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!











そして、私はまた懲りもせずお母さんにいいました。









あたし「大学はボストンにするわ」