コスプレしたおじさんを嘲笑することによって、満たされるみんなの自尊心と生まれる優越感の中、私はただ一人傷ついておりましたと今更のように偽善者ぶりたい。


クソババアは、私がすっかりテストサボりのことなどを忘れていた頃にやってきた。
そう、地獄の週末がやってきたのだ。
人は、日曜の夜にサザエさんを見ると明日来る月曜の存在を思い出して鬱になるというが、私は違った。
某・音楽駅という番組を見ると、明日は休日かとため息を漏らすようになっていた。
いつのまにか、嫌いだった学校もクソババアと過ごす1日よりかはマシに思えるようになったのであった。

クソババアは、土曜の10時。約束の時間きっちりに家のチャイムを押した。
私はとりあえず、土下座の練習を10回してから、クソババアに応答した。


クソババア「遅い。なにしてたの」
あたし「謝罪の練習です」
クソババア「練習?」
あたし「なんでもないです」


早々怒られるのもどうかと思ったので、私はとりあえずクソババアをリビングに招き入れた。

円卓を囲んで座り始めたやいなや、クソババアは私に踏ん反り返って見せた。
私は一体何がどうしたかわからなくて、ただその意気揚々としたクソババアを眺めていた。
そしてそのクソババアの態度を眺めていてわかったことがある。
クソババアは結構、鼻息が荒い。
無理な姿勢を保っているためか、いつもより呼吸が荒めである。
この空間にはクソババアと私以外いないため、部屋にはただクソババアの鼻息だけが音を立てていた。


クソババア「…で、テストは?」
あたし「……Don't touch me」
クソババア「は?」
あたし「I don' t know Japanese. Sorry」


あくまでしらを切ろうと思ったのだ。
素直に「寝てました」と言える勇気などなかったから。


クソババア「テストは!!って言ってんの!!」
あたし「oh....」


クソババアは留学経験があるくせに、英語を拒絶した。
私はクソババアに圧巻されて、最後はしょげた外国人へと化してしまった。


クソババア「テスト、何点ぐらいになりそう?自己採点、したんでしょ?」
あたし「…してません」
クソババア「は?なんで?」
あたし「できなくて…」
クソババア「もういい。わかった。じゃあ、問題用紙見せて。」
あたし「ありません…」
クソババア「はぁ??学校においてきたの?」
あたし「ありましぇん…!」


クソババアは引かなかった。察して欲しかった。
つまり、私はテスト寝坊して受けてないんだってことを。


クソババア「じゃあなんの問題出たか言って。大体でいいから」
あたし「ヴェルディ…」
クソババア「は??」
あたし「国民楽派ヴェルディ!!!!!」
クソババア「それはロマン楽派」
あたし「ひぃ」


クソババアの圧勝だった。
気づけば、私は泣いていた。
これから、いずれバレる未受験のテストのこと。
そしてバレた途端に烈火のごとく怒るであろうクソババアに耐える私を思うと、どうしても泣けてきてしまった。
もう、どうせ隠し通せないなら。いずれバレて怒られてしまうなら。
いっそ、素直に言ってしまおうか。その方が、案外「正直者は許すわ」なんて言ってくれるかもしれない。
だから私は、そんな一縷の望みに賭けた。


あたし「ぐすぐすびえーん」
クソババア「なんで泣いてるの」
あたし「テスト受けてまちぇん、ひぇぇぇ」
クソババア「!?!?!?!?!」


そこからクソババアがなんて言ったかはわからない。ただ、並べられる限りの罵倒を吐かられた気がする。


クソババア「あなたって人は本当に信じられない」
クソババア「どうせゲームしてたんでしょ、計画性を持ってよ」
クソババア「こんな時期に何を考えてるの」
クソババア「高校どうするの」


私は何も答えなかった。
ただ、クソババアの言葉を右から左へと流して、菩薩のように穏やかな心中で己の信ずるホモを崇めていた。


クソババア「もう見ていられない。そもそもやる気がないのよ」
クソババア「答えだって、今まで写してきたんでしょう。わかってるからね」
クソババア「今まで見たどの生徒よりもひどい」


嵐はいずれ過ぎ去る。
今はただ、耐えろ。
そう己に言い聞かせた。
Life is beautiful. Don't cry.
Ok, ok, I'm very KUZU.


クソババアは、結構怒っていたように見える。けれど、心と耳を閉ざしていたため、いざここに書くとなると、あまり色濃い思い出を掘り出せない。
全ては私がトラウマにならないように、私自身が勝手に脳内を操作した故なので許していただきたい。

だけれど、一つ覚えていることがある。
朝の10時から16時までこってり怒られた後の私がまず思ったこと。






それは________、










"さぁ、今日も犯罪指数あげるぞぉー!"

液晶の中に映る彼に恋をした次の日、彼は私以外のカワイイ子と結婚してしまいました。それ以来、生きる希望が沸きません。(43歳 主婦)


学校に連絡をしないで2日を過ごしてしまったのは、まぁこの際しょうがない。
気にしない。だって、クズだから。
でも、私はクズ以上にクズだから、連絡をしていないことに気づいていながらも、なお連絡をとらなかった。


なぜかって?



それは、謝りたくないからである。


散々見下している担任(セクハラジジイ)に、なぜ「ごめんなさい」と言わなければならないのか。
(なお、セクハラジジイの名の由来は、自分のクラスメイトを対象に強制的に肩揉みや、ボディタッチをさせるいうなかなか悪どい人間だったことによる。)
そんなことを考慮しながら、一寸ばかり考えたが、私がそのセクハラジジイに謝るところで生まれるメリットは皆無だったため、私は連絡をせずにそのまま、その日を過ごした。



そして次の日は早朝からの仕事がなかった母親に叩き起こされて、渋々学校に行った。
なんで3日のうち、2日も受けてないテストのラストを受けに行く必要性があるのか。
3日なら3日でフルにサボったほうが、完遂していてかっこいいじゃないか。そう思ったけど、そんな言い訳は母に通じなかった。
むしろ、火に油を注いだだけだった。


でもとりあえず、聡明な私は2日もテストを休まなきゃいけなかったぐらいに重大なことが起きたことを演出するため、大掛かりな装飾を身に纏うことを決めた。

学校に連絡をできなかった=連絡なんて忘れてしまうぐらいにショックなことが起きた=心に傷を負ってしまった!
そういうエピソードが垣間見れるように演出しよう!

そう思い立った私は、家の薬箱にあった包帯と眼帯を手に取った。
そして、おもむろに包帯を腕に巻き、眼帯を目にあてた。


これで私は満☆身☆創☆痍!

鏡で見た私の姿は、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうなぐらいに薄弱だった。
これでは、先生方も私のテストサボりのことなど言及できまい。

私はルンルン気分で、教室の扉を開けた。

すると、一斉に降り注いだ私への視線。

そして、笑いでもなく、悲鳴でもなく、みんなが訝しげに眉を顰めた。


おともだち「どうしたの、それ…」
あたし「…あ、ああ…別に…ちょっと、ね」


お友達から当然寄せられた疑問に、真面目に答えずに、傷ついている心を隠しているかのような含み笑いをしてみせた。
すると、友達は触れてはいけなかったと察したようで、それ以上はもう何も言ってこなかった。

もう話しかけてくる人もいなかった。


この時点で、私のプライドと自尊心と矜恃は限界を迎えていた。
なぜ、あんなにも意気揚々と包帯を巻いてしまったんだろう。
なんで、クラスメイトからこのような目線を送られるということを考えなかったんだろう。
ばか、ばか!!!!
アタシって、本当バカ!!!!!!!




朝のホームルームが始まって、セクハラジジイが登場した。
すると、やはりすぐに、先生は私を見て、


セクハラジジイ「田中、お前どうした!」
あたし「…」
セクハラジジイ「2日も無断で休んでると思ったら、なんだその格好は!」
あたし「…」
セクハラジジイ「なにがあったんだ!いってみろ!」


もうやめてくれ。
やめてくれよ!!!!触れないでくれよ!!!
それ以上クラスの注目を集めないでくれ!!!!

セクハラジジイは私を責め立てあと、それでも何も答えない私に、私の将来についてへの不透明な見通しについて語り始めた。


セクハラジジイ「田中、俺、お前が心配だよ。
田中はな、俺、正直よくわからないんだ。
私立から公立に転校してきて、慣れないことが多いのはわかる。わかるぞ?
だけど、無断欠席は私立でも公立でも変わらずダメだろ?」
あたし「…す、すいませ…」
セクハラジジイ「そんなんで将来どうする?
テストすらまともに受けれないで、高校どうするんだ?
なぁ、教えてくれよ。俺、わかんねぇよ」



あたしだってわかんないよ!!!聞かないでよ!!!!
ていうかみんなの前でそんな話すんな!!!!訴えるぞてめぇ!!!!生き恥さらしかこのやろう!!!!!!!!


セクハラジジイ「な、田中。
お前、なにがあったんだ?」
あたし「……」
セクハラジジイ「なぁ、なんで意地はってんだ?」
あたし「……階段から転げ落ちました!!!!」
セクハラジジイ「…目もか?」
あたし「NO!!!!!ものもらいです!!!!!!!」
セクハラジジイ「そうか。よーし、後で職員室に来るように。」


そうして、朝のホームルームは終わった。
私の学校生活も終わった。
また中学校転校しようかな。
でも何度も転校したら内申悪くなるんだよなぁ…。
あ、でもテスト出てねぇからハナっから内申悪りぃわ。関係ねぇわ。
よっしゃ、転校しよ。
うぇーい!そうと決まったらすぐ転校!
福沢諭吉の創設校にでも願書書くかー!!!!それとも、いっそアメリカに行くか!!!!!!California is my home!!!!!


私はそっと、瞳を閉じた。
それは、涙がこぼれてしまうのを抑えたかったからじゃない。
まぶたの裏に浮かんでくる、私の新たな中学生ライフを妄想していたからだ。
あくまでそういう意味合いで瞳を閉じたのだ。そういう意味だ。
泣いてなんかいやしない。


滲んだ視界の中、私は放課後、職員室を訪れた。
先生は、「ここじゃなんだから」と私を工具室に呼び入れた。
職員室で話されない時点で、長丁場だということを察した私はとりあえずゲームする時間が減ることに落ち込んだ。
だけど私はここで萎れるようなタイプの人間ではない。少ない脳みそで考えた末、ゲームを少しでも多くするには、包み隠さずありのままの本心を言うべきだと確信した。


セクハラジジイ「なんでここに呼んだかわかってるよね」
あたし「はい!」
セクハラジジイ「テスト二日休んだこと。それと、その怪我ね」
あたし「大丈夫です、この怪我は!ほら、元気!元気!」


私は包帯を巻きとって、傷一つない肌をセクハラジジイに見せつけた。


あたし「ものもらいだって!嘘です!かゆいぐらいです!」


眼帯もぶちとって、隠していた目をぱちぱちと瞬きさせて見せた。
セクハラジジイは、なにか驚いたかのように口を開けていたけれど、私は気にせずに続けた。
今思えば、空気の読めなさがMAXであった。睡眠不足は人をおかしくさせるようだ。


あたし「2日もね、寝坊しちゃって!そういうことです!じゃっ!」


先生の疑問を全て解決したのち、長居は無用と決め込んで席を立った。
だけれど、席を立った瞬間にセクハラジジイは今まで開けていた口を瞬時に閉じて、私の腕を掴んだ。その手は、油を浴びたように濡れていた。普通に気持ち悪かった。


セクハラジジイ「ちゃんと説明して?」
あたし「ひぃ」
セクハラジジイ「そんなふざけた理由で納得すると思う?」

〜中略〜

あたし「だからやっぱり、人生なんてワンチャンっしょ!」
セクハラジジイ「もう帰れ」


というわけで、私とセクハラジジイの戦いは終わった。
中盤ではペンチを持ち合い、夢を語らいあう場面も見られたが、最終的には人生は苦楽の割合的にはどちらが多いのかという論争で仲違いしてしまった。
私はここで、人類はやはり分かり合えないのだと再認識した。

私はこのセクハラジジイとの戦いを終えて、テストサボりという負い目は払拭されたと思っていた。












そう、私は忘れていたのだ。
クソババアという存在を_____。

生きる意味がわからないからといって、手首を切るほどでないし、いじめられてたわけでもない。ぱっとした死因が見つからないから今までのうのうと生きてきた。


私は、クソババアにテストを受けれなかったことを言えないでいた。
言ったら最後、命の灯火が蝋ごと握られるような未来に思えたからだ。


だけど、私はポジティブシンキングを忘れなかった。
期末テスト初日はダメだったものの、次日のテストで頑張ればいいじゃない。だってテストは3日間もある。1日ダメだったからって大丈夫。明日は明日の風が吹く
そんな前向きさで、次日を頑張ろうと思えたのだった。
そして今度こそ名誉を挽回するために、次日に行われるテスト、国語・社会・音楽は満点を取ろうと思った。
でも、ここで私である。
勉強なんかしていては、私の街に長い間もの平和が訪れてしまう。そんなのは許されない。
では、どうすれば良いか?
答えはひとつ、勉強をせずに満点を取ればいいのだ。
救いはあった。私は国語社会はできる。まだ数学や理科に比べたら全然出来る方である。
残るは音楽。音楽なんてヴェルディ覚えときゃいい気がしたけれど、そんなんでは心もとない。
だから、音楽のプリントに書いてあった重要そうな単語を腹の肉に写した。
腕などに書くと、すぐにばれてしまうと思った末に生み出した策だった。
腹の肉なら、痒いふりをしてかいてその隙にみればいいし、腹を疑われたらセクハラと訴えればいい。
私はやはり天才デブであった。
自分の身体的特徴をここまで駆使して、なお自在に操れるとは。


私は、腹にヴィバルディだの国民楽派など書いたのち、人を撃ち、殴り、轢き続ける作業に戻った。
私は自信にあふれていた。犯罪指数が上がっていくのを楽しんでいたバーチャルメディアでの私は、いつのまにかリアルな世界でも犯罪指数を上げてきていた。
だって、淑女である私にはカンニングなんて言葉を以前は考えたこともなかった。(以前というのは小3より前のことである)

そして私は変わらずゲームに没頭し、気づけば日付が変わり、朝日が昇っていた。
正直、丑三つ時を越えたあたりから
「また同じパターンになるんですね、わかります。」
と察してはいたが、まだいけるまだいけるという謎のポジティブ精神で、私は殺戮を続けた。

そして私が限界を迎えたのは、前回と同じように5時であった。ある意味規則正しい生活をしているのである。

やっぱり前回と同じように「7時…いや、8時には起きる」とうすーく決心したのち、瞳を閉じた。





御察しの通り、また寝坊です。


はい。もう認めます。私はクズです。クズですよーーーーーーー!!!!!!!!!

クズはクズなりにクズを楽しむってもんですよ。クズは起きるなり、もう前回とは違っていました。前回は時計に説教を喰らわせましたが、今回のクズは違います。
「現実って酷だな」
と、なぜか私が傷ついてるみたいな感じで時計に語りかけました。
時計はやはり何も言いませんでした。でも心なしか、穏やかな表情をしていたように見えます。





クズはその場で伸びをしたのちに、







「よし、死ぬか。」







と決心しました。

二日連続でサボるのはさすがにやばい。
もうこれは言い訳も言い逃れもできまい。
私の命は今週いっぱいで終わりだ。
怒られるくらいなら、死んで美談にしたほうが親も嬉しいだろう。

だから私は、その場にあった縄を手にとって、ひっかけられる天井を探した。
でも残念ながら我が家は借家。天井に突起はおろか、フックをつけることも許されなかった。
そこで私は、急遽予定を変えて縦向きに吊るされるのではなく、横向きに吊るされることにした。
ドアの取っ手に縄をくくりつけて、私の首に縄をかけた。
そして、行けるところまで這いつくばって行って、苦しくなったらそのままそこで息の根が止まるまで待っていることにした。

一歩、踏み出す。
首は一切締らず、まだまだもっと遠くへ進んでいかなければならなかった。
私は、自分の決心を表すかのように唇を固く噤んで、また一歩、また一歩と踏み出した。
ちょとずつ、窮屈になってくる首の周り。それでも私は歩みを止めなかった。
どんなに死への漠然とした恐怖を抱えているからといって、あの時の私にはクソババアに怒られる方が怖かった。
四つん這いで歩き始めて、8歩後ぐらいに、やっと首がきつく締まった感覚がした。
胃から何か上がってくるような気持ち悪さ。
これが絞殺かぁ。いや、自分で死ぬから絞死?え、ていうかそもそも絞死なんて言葉あったけ?
なんて自問自答しながら、少し酔ったときに抱える吐き気みたいなものに耐えながら考えていた。
顔を天にあげて、縄を首に食い込ませてから3分ほど経っただろうか。
首吊りは1分あれば死ねると聞いていたのだけれど、なんだか5分経っても死んだ心地がしない。
もしや、気づかないうちに死んだのかもしれないと、ペンを握ってみた。
普通に握れた。透けて通り抜けることはなかった。つまり、私は生きている。生きている!!!!!死ねてない!!!!
そして、その安堵からか、数歩下がってしまい首に食い込んでいた縄を緩ませてしまった。
そのおかげで一気に呼吸が楽になる。そして急に履いてきた大量の酸素に体が追いつかずに、私は先ほどとは比べ物にならない吐き気を催した。
トイレに行くのも間に合わず、その場で吐いた。それは弧を描いているかのようだった。
カーペットがよくわからないスライムに似た粘液で汚れていく。なんでよりにいってカーペットの上で死のうとしたんだろう。
フローリングの上にしとけばよかった。でもそんな後悔も、今じゃもう遅い。

私はスライムが粘りついたカーペットの上で、ただ荒い息を吐いてこの状況を整理することに集中した。






そして、整理の結果に思い出したのは_______。













この二日間、学校に連絡をしていなかったということ。

国家、人種、言語。私たちは一つとして同じ個体ではないのだからそこに差別が生まれるのは仕方ないことだと5歳のアタシは思いました。


クソババアは私の夏休みをきっちりと全て奪い去った。
3日に一回は来て、私の学習ペースを見ては説教、説教、説教。
ほどなくして、説教から逃れるために私は宿題として出されたものの答えを解答から丸写しするといい暴挙にで始める。
家庭教師は何も言わずに、ただ私がやった答え丸パクリのノートを見ていた。


そんな夏休みも、なんとこさ終わり、迎えるは期末テストとなった。
中学三年の期末テストは高校に成績が行く。なんなら、中学校3年間で一番大事な時期といってもいい。
そんな最中、私はまだゲームに夢中だった。
とはいっても、アイドルとの学園生活はとっくに終わり私は片言王子から卒業していた。
そして今度は、ひたすら人を殺して犯罪指数をあげるというゲームを貪りつくようにやっていた。

期末テスト前日もそうだった。
変わらず道行く人の頬を殴ったり、車で同じ人を50回ぐらい轢いたりしていた。
朝の5時ぐらいまで、その無意味な殺戮は続いた。
でも、街にもついに平和が訪れる。
犯罪者のプレイヤーである私に睡魔が襲ってきたのだ。
人の三大欲は睡眠、食欲、性欲というのだから、あらがえるわけがない。私はそのまま、7時半には起きると薄く決意したのち、眠りについた。

敗因から言おうと思う。
その日、私のお母さんは朝早くから仕事でいなかった。
だから私を起こす人もいなかった。
つまり、私が起きたのは時計の針は15時を指していた時だということである。
つまり、期末テストは終わっているということだ。
私は時計を何度も叩いた。
なぜ起こさなかったのか、なぜ私が生まれてきたのかを時計に問いかけた。
でも時計は何も語らなかった。励ましの言葉も、罵りの言葉でさえも。



結局、
焦った私は、とりあえず死のうと思った。



中学三年年間で一番大事なテスト。
これからの将来が決まる大事なテスト。
そんなテストをすっぽかしたのだから、死んだほうがいいように思えてきたのだ。

そこからの私の行動は早かった。
どうせ死ぬなら、私が崇拝する太宰治と同じ死に方をしようと思ったので、薬局で漢方薬を買ってきた。ついでに好物の翼が生えるタイプのドリンクも。
睡眠薬が良かったけれど、中学生の私には売ってくれなかったので、体に良さそうな漢方薬を選んだ。
自殺するのに体への配慮をしているなんて、今考えたらアホもいいところなのだが、当時は真剣に考えていた。多分、これがマスメディアによる弊害だろう。

お家に帰って、とりあえずネットで死に方を調べた。そして、太宰治は薬で死んだわけではなく、溺死したことがわかった。
かといって、桶に水を張ってそこに顔を突っ込む勇気もなかったし、その姿で死んでいる姿を親に見られるのはいたたまれなかったので、私は太宰治が失敗した方法で死ぬことにした。
それから、買った漢方薬を30錠口に放り込み、レッドブルでそれらすべてを流し込んだ。
すると、たちまちひどい頭痛に苦しめられた。
その痛みから、私はいよいよ死ぬのだと察し、死体発見時は綺麗な状態で見られたいという願望から私はおもむろに手を組み、天を仰いだ。
そして天井の染みを数えながら、これまでのことを思い出していた。

バナナムシの大群に襲われてお漏らしをしたこと。
お父さんが酔った勢いでポルシェを買ってきたこと。
露店のおじさんに「お嬢ちゃん太っちょだからいっぱい食べるよなぁ?」と言われ、傷ついたこと。
罰ゲームでバンジージャンプをさせられたものの、誰一人見ていてくれなかったこと。

思い返せば、しょーもない人生だった。
思い残すことなどなにもない。
我が人生に一変の悔いなし。
そう、思った。
死ぬのなら、いつでも来いと。


でも来たのは、死ではなく、腹痛だった。


しかも、今まで経験したこともない痛み。
腹が「グギャァァルゥゥ」と叫んだかと思ったら、立てないほどの腹痛。
かといって、ここで漏らしてはぶっちゃけ死ぬよりもキツイことになると思った私は這いずるようにトイレに駆け込んだ。
そしてトイレに入り、ただひたすら産み落とした。あの時ほど、出産時の妊婦の気持ちがわかったことはないだろう。
永遠とも思える痛み。それが四時間も続いた。
妊婦はまだいいだろう。その痛みの末、我が子が残るのだから。
私は、せっかく産んだ我が子とも呼べるその物体を流さなければならない。

私は我が子への愛と別れを告げたあと、大の方向へとノズルを回した。
音を立てて、流されていく我が子は健気にも「母ちゃん…ありがとう」と私に語りかけているように見えた。少し、涙が出た。



今回私は、大事なテストが0点になった代わりに得たものがある。
それは体重が3kg減ったということである。
いや、物理的に言えば失ったというべきなのだが、思春期の女子であった私から言わせてみれば体重が減る=得てしてこうなわけである。

私は今回の件を通して、あんなにも重く受け止めていた自分の過失に対して、寛容的になれた。
テスト受けれなくても、まぁいいじゃない。うんこ出たし。そう思えるようになったのだった。



だけれどもやはり、クソババアはそんな私を許さなかった。

知識なんて偏見にしか変わり得ない。つまり学習なんて無駄ってことをいつかは証明したいのだけれど、それを証明するにはやっぱり知識が必要なのであった。


今回は、めげないへこたれないなかないクソババアを上半期の間、どう避けてきたかである。


私は上半期の中期頃からクソババアの説法に耐えられなくなり、突如「高校は美術学校に行くから!!!」と叫んだ。
幸いにも、新宿の方に公立の美術高校があったためそこへの進学を決めた。
クソババアは面白いぐらいに焦っていた。自分が得意な勉強は踏ん反り返って教えられるが、絵のこととなると話は別だ。
絵においてはなにひとつ評価を受けてないクソババアは、一瞬にして私の高校進学での存在価値を失った。

そしてクソババアの訪問を避けるために、毎週日曜日に行われている絵画塾を選んだ。同じく新宿にある絵画教室である。
まぁ、そもそもそんなに絵が得意じゃなかった私ですが、クソババアと丸一日過ごすよりかは絵描いてたほうが楽しいと思い、早速絵画教室へ入塾しました。


でも、クソババアは、それでもへこたれませんでした。
毎週日曜だった授業を、毎週土曜に変更し、私から休日を奪っていきました。


更に、絵画教室は絵画教室で色々と問題がありました。
入塾してすぐにわかったことは、生徒の絵のレベルが異様に高いということ。
さすが美術系を志すものたちの集いと言うべきか。
みなさん、模写でもしたの?それとも人生1245回目なの?というぐらいに、中学生とは思えない絵を描きあげていた。多分全員ピカソの孫だったんだと思う。
絵画教室では、毎授業たびに講評があるのだが、一番前のパネルにどんどんそれぞれの絵が飾られていき、そしてそれをみんなで見せ合う時間が私は苦痛で苦痛で仕方なかった。
なぜなら私の絵は、お世辞にも上手とは言えなかったのである。どのくらいかというと、キャベツを描いたつもりが、ボーリングの玉かと問われたぐらいである。
晒されるヘッタクソな絵の両隣には写真のように忠実に姿形そのものを再現した絵が並んでいた。おかげで私の絵の下手さが強調され、私はただ拳を強く握りしめることしかできなかった。
先生も、他の子の絵の講評は、異様によくわからない言葉を駆使して、コントラストだのパースだの言っていたが、私の絵の時は「入ったばっかだから仕方ないね」と一言。それで終えられた。私より後になって入塾した生徒には、その言葉を言うことはなかった。


でも、私はそんなにマゾじゃない。
露出狂でもないから、人に自分の痴態を曝け出すことなんて羞恥でしかない。
だから日に日に絵画教室に行かなくなった。
でも、入塾金を払ってくれた親の手前、あからさまにサボることはできなかったので、朝の9時から夕方の5時まで新宿の街をぶらぶらして時間を潰した。
おかげで山手線各駅のロッカーの場所を把握してしまった。


クソババアはそんな私の心の変化をズバッと見抜いてしまった。人の気持ちには鈍感なくせに、なぜか人の進路の変更には気づくのである。

クソババア「美術学校、行かないでしょう?」
あたし「……」
クソババア「お母さんに絵画教室やめるって話つけとこうか、勉強する時間多くとれたほうがいいし」
あたし「…!!」

この時ばかりは、クソババアの存在に私は感謝した。
お母さんに"絵画教室、行きたくないんだ"の一言が言えなかった私に、与えられた一つの救いの手だった。
クソババアの言葉に力なく頷くと、クソババアの行動は早かった。
前回のように、お母さんの帰りを待って、終電まで話し合ったのだ。

クソババア「美術学校にはいかないので、普通科進学のための勉強時間確保のため、絵画教室を辞めたほうがいいとおもいます」
マイマザー「はぁ????」
あたし「ひぃっ」
マイマザー「そうやっていつも逃げてきたでしょ?何か一つでもやり遂げたことがあるの?」
あたし「小学校は卒業したからやり遂げたもん…」
マイマザー「ファック!!!!!!!!」
クソババア「あなた、いつも逃げてきたの?それは悪いわ、ダメだわ」
あたし「あるぇ…?」


なんということでしょう。気づいたら、味方だったはずのクソババアはいつのまにか、敵になっておりました。
母と一緒に私を責め立てては、ドヤ顔、ドヤ顔、ドヤ顔。
あの時ほど目の前の大人への恨みを募らせたことはありません。
"やめたほうがいいって言ったの、お前やんか…"
その一言が胸に重くつっかえたまま、私は2人から、私という人間を否定され続けた。


結局、美術学校には進学しないことになったが、なぜか絵画教室には続行で通わされることになった。
美術学校に行かないのに行く意味あるのかなと思ったが、そこを突っ込んだらマイマザーは烈火のごとく怒り始めたので、私はもう二度と聞かなかった。
だけれど、私は非常に効率的思考の持ち主なので、絵画教室には一切行かなくなった。
お母さんはもう何も言ってこなかった。


そしてクソババアはそれをいいことに日曜日に毎週私の家に訪れた。
さらに、以前の土曜日はそのままで日曜日が増えて、私は休日全てをクソババアに捧げることになった。
クソババアから逃れるためにとった策が、まさかクソババアを寄り付かせるとは。
なんとも辛い結果である。


そんなクソババアの鋼の心にヒビが入ったのは夏休み明けである。中学三年の期末という、高校にそのテストの成績が送られるという大事な時期に私は、重大なヘマをする。
それはまた、次回書くことにする。


放射能とか、捕鯨とか、そんな遠いお話のことで怒られても、ただ頷くことしかできません。なんか、すいませ〜ん。あいあむじゃぱにーず!



春。中学三年生の春。受験まではまだ遠い。けれど受験という言葉を嫌でも意識させられる時期。
私は能天気に鼻くそをほじっては、「大きいの取れた!今日はいいことあるぞ!」なんて考えていたものだった。

そんな平和ボケした私に悪魔が訪れた。
そう、前述した通り、お母様よりお呼びになられた家庭教師ことクソババアである。
クソババアは毎週日曜日、時間は決まっていないが大体5時間ぐらい私の家に滞在しては私に説法を施していった。
まず最初の授業で、クソババアは私の生活サイクルを異様に責めた。
とは言っても、私は昔と違って学校に行っていた。なのにクソババアは私が夜遅くまでゲームをやっていることが気に食わなかった。
クソババアはすぐに私にゲームをやめるように勧告してきたが、私は完全無視でPSPの中にいる彼氏を愛で続けた。愛は障害があればあるほど燃えるとは、まさにこのことだろう。
私は深夜まで某楽器王国からきた字幕がないと何言ってるかわからない系王子様にハァハァ言っていたおかげで、朝起きれず学校を休むことが何度かあった。
そのせいで範囲はどんどん進み、それでも焦りを感じない私はそのまま教科書に手をつけなかった。
クソババアが何度同じページを説明しても、私の頭はあの褐色肌の王子がなんて言ったのか考えるのでいっぱいいっぱい。
だからすぐに抜け落ちて、問題の解き方を忘れてしまった。
そう、全ては片言王子が悪いんだと私は思う。私をこれだけ好きにさせた片言王子が私の高校進学、成績の向上を阻んだとしかいえない。
でもそんなこと言ってもクソババアは片言王子のよさをわかってくれないし、私はクソババアのいう勉強のよさがわからない。
つまり、私たちは完全に平行線のまま毎週を過ごした。決して交わらず、ただお互いに存在を共にするだけ。

でもある日、黒猫化してちょいちょいナチュラルにセクハラしてくる片言王子様は私に悲劇をもたらす。
クソババアが私のあまりの馬鹿さに辟易して、私の部屋に飾られていた片言王子のポスターを剥がしたのであった。
そしてそのせいか、ベッドの裏に隠していた薄い本が音を立てて崩れ落ちてきた。
その数、30冊ほど。すべて片言王子たん、及び孤児のカレーライス好きがにゃんにゃんしている話である。
その時、言葉を失った。
おそらく時間が止まっていたんだと思う。
剥がされて下へと垂れた片言王子は立ち尽くした私とクソババアを無垢な笑顔で見つめている。
正直、こっち見んな。と思った。

クソババアはやめたらいいのに、そのうちの一つを拾い上げると中をパラパラと読み始めた。
しかもよりによって、孤児のカレーライス好きがくっさいおっさんに犯されたあげく、吐瀉物を押収されるというなんとも万人受けしなさそうなものを読んだのだった。(ちなみにその本の中で、そいつが吐いてたのはやっぱりカレーライスだった)

そして、

クソババア「なによこれ!」
あたし「…本です…」
クソババア「そうじゃなくて!内容!」
あたし「…本です…」
クソババア「お母さんは知ってらっしゃるの!?」
あたし「…知ってます…」
クソババア「なんてこと!」

急遽、クソババアによるクソババアのための緊急会議が開かれた。
仕事に疲れて帰ってきたお母さんを捕まえて、親子揃ってリビングに座らされた私は、いよいよクソババアが疎ましく思えて仕方なかった。
こんなことをして、鬼の首を取ったようなドヤ顔を披露なさっているが、私のお母さんは私がそういう趣味なのも理解しているし、なによりお母さん自体が腐っている。
そんなことも知らず、クソババアは唾とともに私達親子に罵声を浴びせ始めた。

クソババア「こんな本をお子さんが読んでいたんですけれどもね」
マイマザー「はぁ…、そうですね」
クソババア「そうですね、ていうか!まだ未成年なのにこんなもん読んでていいと思ってるんですか!?」
マイマザー「本人の意向なので…」
あたし「あわわ…」

〜中略〜

マイマザー「娘の趣味に口は出したくないので」
クソババア「キィィィィ終電がァァァッァ」


こうして、私の母とクソババアの戦いは終電によって幕を閉じた。
めでたいことにも、私の母は優しく、そして何よりBLが好きだった。
やはりそこは遺伝子。蛙の子は蛙である。

お母さんに感謝しながら、私はその日クソババアに別れを告げた。
クソババアはこれに懲りて、もう来ないでくれるかと思ったが、クソババアは次の週普通に来た。鋼のメンタルである。

これからクソババアは、私がテストすっぽかしても、問題の解説中にカップラーメンを作り出しても、寝たふりをして玄関前に一時間立たせても、毎週来てしまった。
私は今まで、クソババア以外にも家庭教師に習っていたことがあるが、これまでの家庭教師は私がここまですると勝手にやめてくれた。

だけど、こいつはクソ鈍感だった。
でも結局最後には私が勝利し、受験までの後半期の半年間、クソババアの襲来を止めることができたが、それまでの上半期は毎週(テスト前は週に3日)の頻度で来ていた。

クソババアとの時間は、戻りたくない過去のトップ3のうちに入る。
では、また次回もクソババアと私のハートフルエピソードを紹介しようと思う。

そもそも、最初は「なぜ三重県にある高校を選んだのか」という話だった気がするのだが、気づいたらクソババアの話に移り変わってしまって、とても申し訳なく思っている。
だがしかし、私が三重県の学校を選んだ理由をあげるにはクソババアの存在が大前提であるため、ご了承いただきたい。

宗教は人の思想を拘束するために生まれたわけじゃないと思うんだけれども、この考えを人に話した時点でそれは宗教の始まりになってしまうような気がする。



高校生になった。
人生の絶頂期と言ってもいい。
どうやったって溢れ出る若さを隠すことはできなくて、生足を晒しても苦虫を潰したような顔などされずに、むしろ舌なめずりをされるような、そんな対象に私はこの春、なったのである。

なったはずだった。

でも、気づいたら今まで訪れたこともなかった三重県という未開の地で私は高校生をしている。
ここでは、舌なめずりをしてくれるようなおっさんはいないし、朝の満員電車に揺られながら痴漢を期待して登校することもない。
なぜなら寮生活であり、寮から学校まで20秒だからである。止まっている時間もないので触られる時間もないのだ。
自分でだって不思議である。
東京の核のひとつでもある渋谷を中心に生きてきた私が、なぜこんな場所に来たのか。

それは話すと長くなるのでこれから分けて話していくことにする。
まず初めは、この高校を選んだ理由である。
この高校への入学理由は「なんかフィーリング」。
我ながら直感に頼りすぎだとは思う。お前は理論的に生きていけないのかと問われたら何も言い返すまい。
そのため、高校入試試験の時の面接で「我が校へなぜ入学したいのか」と問われた時思わず口ごもった。まさか「なんか、ビビッときまして…」とか言えないじゃん。
でも、私はそれ以外この学校に入学したいと思った理由がなかった。(それまでの人生なども考慮してだが)


私は中学時代、自分自身が招いた災いで、中一の夏から学校に行かなくなった。結局は転校して中学二年の夏頃から三年の卒業まで行ったが、一年間の空白は大きかった。
勉強に全くついていけなかったのだ。
そもそも私は勉強が嫌いだったため、中学最初の基礎だってなにひとつやっていなかった。おかげで毎日追試追試のオンパレード。
夏休みなんて、追試で埋まってせっかくのハワイもおじゃんになったぐらいだ。
そんな私にも、ボロ雑巾のように不幸なあの子にも時が来れば受験はやってくる。
もちろん、勉強が嫌いなら高校なんて行かなければいいなんて意見も有るが、私は頭でっかちな偏見まみれの世論に流されて「中卒は生きる価値なし。死んで、どうぞ」という名の下生きていたため、進学の断念は頭になかった。

でもやっぱり、遅れた一年を取り戻すのは並大抵ではなかった。いや、そもそも取り返そうとする努力もしていないので当然なのだが。
そんな私を見かねたお母様はご自分の連絡網を駆使して、青山大学卒の優秀な家庭教師を私につけた。
その青山大学卒の家庭教師(以下、クソババア)は大手金融機関で働いているバリバリの独身キャリアウーマン(43)だった。
ここで勘の良いあなたならわかったと思うが、43歳にして独身であるこのお方、相当キツイ言い方をなさる方であった。大変な信念をお持ちで、自分に絶対的な自信を持っていた。
私は出会った当初から苦手だと思っていたが、その意識は受験に合格し関係を断絶した今でさえ変わっていない。

初めて出会った日の会話はよく覚えている。
私が留学することを夢見ていた純粋な頃の話だ。

私「アイルランドに留学したいんです」
クソババア「無理よ、今の英語力じゃ」
私「でも、現地に行って慣れるっていうのも…」
クソババア「ある程度わかってないとただの旅行で終わるのよ?ただ遊び呆けてお金だけ使って、何が残るの?行く価値ある?そんな留学」
私「ひぃ…」

こうして私の“海外のナイスガイと情熱的な恋をした後、帰国子女枠で慶応とかいけるかも作戦”は幕を閉じた。
まぁ今になって考えてみれば酔狂な話だとは思う。だけれど、あんなにも将来に期待して瞳を輝かせていた私から、希望を奪ったのは死罪に近い。
だけども、私は、これから先このクソババアの絶対王政の中生きていくことになる…。